君はいつでも俺の傍に居た。
「ボスとはさ、高校一緒に行けないだろうからさ」
「だからさ、修学旅行行かないか」
「出来れば、…一緒に行けたらって思ったんだ」
傍に居たいと言った。
「…どうして離れなくちゃいけないんだろうな」
「ボスとずっと一緒に居たいのに」
いつも、傍に居るのが当たり前になっていた。
いつも隣で笑っていて。
手を伸ばせば、いつもそこに居て。触れることが出来て。
「俺、ボスのこと、すげえ好きだ」
俺に抱きついて、俺を好きだと言った。
俺にはその理由が分からないままだった。
俺が充の傍を離れない理由すら。
さよなら かわいい夢
「ボス…」
「なんだ」
「ちょっと…俺、疲れた」
口付けて、愛撫に移ろうとした手はやんわりと阻止された。
「そうか。」
俺はまだ満足していなかったがー、充の意思を尊重することにした。
思い起こせばもう続けざまに四度は交わっている。
疲れるのも無理は無いのかもしれない。充に言われて、漸く気づいた。
夜も更けていた。網戸から僅かな風が吹き込んでいた。
風が木を揺らす音が、響いている。
修学旅行の前日から俺は充の家に泊まっていた。
そのまま、一緒に集合場所に向かうことになっていた。
「おやすみ」
充の小さな声がした。
充は寝付くのが早い。すぐにすうすうと寝息を立て始めた。
俺が返答する間もなかった。
すぐに眠れない俺は、充の寝顔を眺めた。
いったいどうしたら、こんな風にぐっすり眠る事が出来るのだろう。
俺には昔から熟睡しない習慣が身についていたが、この様に眠る充を見ていると、
そんな気分を味わってみたいとも思った。
充を暫く見詰めていた。
こんなにじっと見詰めていても、充は目覚めなかった。
もしかしたら、このまま目覚めないのかもしれないな。
いつからだったか、そんな風に思うようになった。
だが充はちゃんと朝には俺より早く目覚めていて、
「良く眠れた?ボス」と尋ねてくるから、いつもそれは俺の思い違いだと気づかされる。
「充。」
名を呼んでみた。…目覚める気配は無い。
こめかみが、ちりっと疼いた。
俺は自分の体温が急速に下がっていくのを感じた。
どうしてかは分からない。
セックスをして上がっていた体温が通常に戻るのだ、そう取ることもできたが。
気がつけば充を揺さぶっていた。
俺は自分の感覚を口にした。
「充、寒い」
充は重たげな瞼を持ち上げて、俺を見た。
「ボス…風邪でもひいたんじゃねえ?」
暑い位だよ、充は呆れた様に俺を見詰めた。俺の額にそっと手を当てる。
充の手は暖かかった。
「普通、だな」
充は今度は俺の手に触れた。
「冷たい」
充は俺の手を頬に当てた。充の頬は温かかった。
充は笑って、俺を見詰めた。
「もう入れるのはかんべんな。…まじで明日起きれなくなるから」
充は俺の下腹部に、そっと顔を押し付けてきた。
そうして俺を口で愛撫し始めた。たまに、充はこうしてくれる。
充の愛撫ですぐに絶頂に達することは無いが、時たま、気を抜くと快楽に没頭して自分を見失うことがある。
「…どう?」
「悪くない」
ボスは顔よりこっちのがわかりやすいな、充が皮肉交じりにそう言った事があった。
だが俺からすれば充の方がそうした傾向は強い。
口では拒んでも、充が俺の愛撫に反応する時は実に素直だった。
充が裏筋から先端の辺りに舌を這わせた。俺は目を閉じた。
「…んっ…」
俺が反応を見せると、充は何故か嬉しいようだった。
俺が喜んでいるように見えるのだという。
眩暈がした。
充の頭を押さえた。柔らかくて、色素の薄い髪が指に絡んだ。
一瞬、気が遠くなった。予告なしに俺は充に向けて自分の精を開放していた。
充はむせたのか、げほげほと咳き込んだ。暫くそうやって居た後、俺を怒ったように見詰めた。
「…どうした」
「出す時くらい言ってくれよ。びっくりするだろ」
「…すまない」
俺が充の口元を拭い、キスをすると、充は顔を真っ赤にした。
結局俺は、ほとんど眠れなかった。
「充。」
布団の中で、再び俺は充を抱きしめた。
「もう勘弁してよ、ボス」
充は俺がまだセックスをしたがっているものととったらしく、少し
辟易したような様子を見せた。
「…こうしているだけでいい」
充に念を押すように言って、抱きしめた。
性欲自体は、先ほど充がしてくれた行為のお陰で大分鎮静化していた。
「…今度はちゃんと寝てくれよな」
「…分かっている」
充を抱きしめる。
何度も口付けを交わす。
腕の中に充の体温を感じているとー落ち着けた。
五月二十二日。
傍に居るのが当たり前になっていた充が、俺の傍に居なくなった。
肉体は存在しているけれどーもう壊れて、動かなくなった。
熱を失って、ただ地面に転がっているだけの存在になった。
充。…何故、充は動かなくなったのかな。
俺は充を壊した。ーそういう決まりだったから。
金井や黒長、笹川と同じように壊した。
だが、充なら壊れないような気がしたのかも、しれない。
躊躇わず引き金を引いた。充は倒れ伏した。
壊れた充の身体を調べようとして、触れた。
指先に触れた感触は、充が生命活動を停止したことを俺に教えた。
充の身体から指を離した時、こめかみのあたりを、ちっ、と何か痺れたような、
一種電気のようなものが走った。
俺はそこを押さえた。これは俺が子どもの頃から感じていた疼きだ。
何年かするうちに、次第に無くなって、最近ではほとんど感じていなかった。
疼きが消えて、俺は充と一緒に、俺の身体のどこか、壊れかけていたどこがが、完全に壊れたような気がした。
雨の上がった空、燃えるような紫色の雲が、ゆっくりと動いていた。
紅い夕陽が西に傾き始めていた。
俺はまだゲームを続けていた。
あれからのことを、よく覚えていない。
俺は動いていたのだろうが、覚えていない。
たくさん殺したことだけは分かった。身体から錆びた鉄の匂いがした。
疲れが、どっと押し寄せてくるようだった。腕が、重い。
充のことを考えている余裕は、本当はなかったはずだった。
相手に向けて引き金を引けば、また幾つか同じような銃撃で返答があった。
三対一。マシンガンに弾を詰め替える暇が無い。分の悪い戦いではあった。
制服はもうずたずたに裂けていた。利き腕を庇った左腕には肩から肘にかけて何箇所か着弾して、血液が溢れ出していた。
防弾チョッキの上から撃たれた腹部にやや重い不快感があった。
車が転がった時に胸を強打したせいで、少し、息苦しい。
こんなに撃たれても、俺は生きてる。
生きていても、生きていなくても。どっちでもいいのに。
俺は生きている。
充があんなに簡単に死んだのに、俺はそれが不思議で仕方がなかった。
自分の身体がどこまで持つのか、それなりに興味はあったが。
俺の意思とは関係なく、俺の身体は教え込まれた通りに自分の身体を守ろうと働くらしい。
充から言わせれば、「すごい事」。
「ボスは、俺が死んでもきっと泣かないよ」
いつだったか、充が充らしくない一言を吐いた。
散らかった充の部屋で、
…泣いたら、良いのか。
俺は泣けなかった。
黒長も、笹川も。−充も、泣いていた。
「ボ、ボス!どうして…どうしてだよ」
「裏切ったのかよ…ちくしょう…どうして…嘘だろ…」
「…ど、どっちでもいいって?」
俺には涙を流している時の気持ちが、良く分からなかった。
「充が死んでいないから、分からないんじゃないか」
あの時俺はそう答えた。
充はどんな答えを望んでいたのだろう。
…分からない。
そして、俺が死んで、涙を流すやつは、きっともう居ない。
あの後は、いつものように充を抱いた。
充と初めてセックスをした時、俺は自分の体が冷たいという事に、気づいた。
「ボスって…すげえ体温低いのな」
俺の胸に指を這わせながら、充はそう驚いたように言った。
「俺。…ボスのこと、少しでもあっためられたらいいな」
切れ切れの息。俺を身体の奥まで迎え入れて、充は俺の背中を撫でた。
包まれている感覚は悪くなかった。
同性同士の行為は、充にとっては負担が大きかったのかもしれないが、俺は充の体なしにはいられなくなっていった。
喉がひどく渇いている。例えるならばそんな感じに近い。俺はいつも充を欲しがって、充を抱いた。
自慰行為をしたならば昇華される筈の欲望は、何故か充を抱かなければ満たされなかった。
俺の身体は冷たかったが、充の身体は熱かった。
俺はいつも充から熱を奪って生きていた。
どうして今までー平気でいられたのだろう。
「ボスって元気だよな。年中発情してる感じ。疲れたりしないの?」
「あんまり食べてねえのに、何でそんなに元気なんだろうな?」
「そりゃ、ボスが元気な方が俺は嬉しいけどさ」
…充が、居るからだ。
俺は充なしでは生きられなかった。
快楽など関係ない。生きるために必要な何か。
ー充しか与えてくれない、何か。
その何かが俺には分からなかった。俺は貰うばかりで、充に少しも与えることが出来なかった。
だから、充は死んだのだろうか。
「こんなゲームなんてクソくらえだ。やるぜ、俺はー」
俺はどちらでも良かった。
いつでもどちらでもいいと思って、ただ、生きていた。
「ボス、また明日な」
「ちゃんと学校来てくれよ。」
なぜ。生きていた。
「何故って、ボスが居ないとつまんねえんだよ」
充が…言ったからだ。
そのことを、忘れていた。
こめかみがちりちりとした。
充。
ぱん。何かが弾ける音がした。
目の前が、紅かった。
充と最後に一緒に帰った日、見上げた空のことを思い出した。
「すっげえ綺麗な夕陽!」
充の言った「綺麗」と言う言葉。今、使うべきなのだろうか。
俺は自分の身に起こった出来事よりも、ただ、そんなことを、考えた。
もう、動けない。
熱を与えてくれる充はもう居ない。
熱を失ってはもう、動けない。
でもそれも悪くはないと、思う。
身体が冷めていく。
残された最後の力で、空を見上げた。
眩暈を覚えた。
充は居ない。
俺は熱を得る場所を失った。
…だから、もうここで止まるのも、悪くない。
俺を生かそうと俺を温めていた充が居なくなったのなら。
充の居ない世界で動き続ける必要は無いような気がしてきた。
だから。
もう、休ませてくれないか。
もう、俺も…疲れた。
おわり
後書き:
桐山が充から貰っていたのは、桐山がそれまで誰からも貰えていなかった「無償の愛」です。
もう少し一緒に居ることが出来たら、桐山も充に与えることが出来るようになったのかもしれない。
ただ、時間が足りなかったのだと思います。
桐山は自覚することが出来なかったけど。
桐山は充を大切に想っていました。
充が想ってくれる以上に、桐山は充を必要としていました。
私の桐山はそうです。
2004/08/10