Tenderness
二月十四日、バレンタインデー。
二年B組は甘い香りに包まれていた。
可愛らしく頬を染めた女子たちが、
意中の男子にチョコレートを渡す光景があちこちで見られた。
と言っても、このクラスの中で新しいカップルが出来た様子はなく、
この学校でもアイドル級の男子が勢揃いしているB組に、他のクラスの
女子たちが押し寄せて来た、と言った感じだ。
沼井充は、俺には関係無いよな、とどこか冷めた気持ちで、プレゼント攻めに
あっている三村信史や、七原秋也の姿をぼんやりと見ていた。
それは妬みでも何でもなく、自分の普段の行動を振り返って、そう思っただけな
のだが。
「よお充、お前まだ一個も貰ってないのかよ、何ならひとつやろうか?」
自分と同じ様に「桐山ファミリー」という不良集団に属しながら、どこか軟派な雰囲気の
抜けない長髪の男―笹川竜平は、既に何個か収穫があったようだ。
その見せびらかすような物言いが癪に障り、充はちょっとむきになって怒鳴った。
「うっせーな、余計なお世話だよ」
「無理すんなよ、博はちゃんと貰ってるぜ?」
黒長はプライドを捨てたらしい。
充は笹川のからかうような視線―実は彼なりに充を気遣っているのだが―を無視して、
自分の席に戻ろうとした。
何だよ、そんなもの、本当に好きな子から貰わなかったら、嬉しくも何とも無いだろ。
それに、俺が好きなのは―。
充がそうもやもやと頭の中で考えては苛立っていると、
「あの―」
「え?」
か細い、必死の声で呼び止められた。
充が振り向くと、
自分より頭一個分下、肩につくかつかないかの髪を二つに結った、
小柄な女の子が、今にも泣きそうな顔で、自分を見上げていた。
「…な、何?」
こう見えて、女の子には弱い充は、少しおろおろしながら、訊いた。
女の子は、一瞬びくっと体を震わせたが、やがて、意を決した様に、
「これ…受け取って下さい…!」
そう言って、充の方に小さな箱を差し出した。
驚いた充が、思わずそれを受け取ると、
女の子は顔を真っ赤にして俯き、「じゃあ…!」と言って、
走っていってしまった。
「あ、あの、ちょっと…」
充がはっとして呼び止めた時には、もう既に女の子の姿はなかった。
「何だってんだよ…一体…」
充は困った様に自分の手に乗った、小さな箱を見つめた。
そして、一瞬固まる。
これって、もしかしてー。
「よお充―、おめでとうおめでとうvよかったなあv」
お気楽な声で呼ばれて振り向くと、笹川がにやにやしながらこっちへ
近づいて来た。
「お前気がつかないうちに結構もててんだぞ?知ってたか?」
「………」
さすがの充も、顔を紅く染め、暫し沈黙した。
―全然、顔も知らない、女の子。
そいつが俺を好き―?
不思議な感覚だった。悪い気持ちでは、ない。
「充にも春が来たなあ…いつもボスとばっか一緒だったから、正直心配してたんだぜ?」
笹川の言葉に、はっと充は我に返った。
思わず視線を、教室の隅に向ける。
「ボス…」
桐山は、自分の席に座って、じっと此方を見ていた。
机の上には、チョコレートと思しき箱が山積みになっている。
桐山は、やがて、そっと目を伏せると、箱をまとめて無造作に学生鞄に放り込み、
すっと立ち上がると、そのまま、鞄を手に教室を出て行った。
「…ボス!」
充はその様子を、ただ呆然と見ていたが、
やがて、数回瞬きをしてから、桐山の後を追って、走り出した。
「おい、待てよ充!もう五限始まるぜ、さぼんのか?」
笹川が止める声も、充には届いていなかった。
「………」
一人廊下を歩きながら、桐山はこめかみを押さえていた。
充が女子からチョコを渡される光景を目にした時から、ずっと
不可解な疼きが収まらない。
胸も、何だか苦しい気がした。
充は顔を紅くして、嬉しそうだった。
あの充の顔を見ているのは、どうしてか辛い気がした。
それに耐えられず、桐山はこうして、教室を出て来たのだ。
足の速い桐山は、もう階段を下り始めていた。
「ボス!」
背後から、聞き慣れた声がした。
桐山はゆっくりと振り返る。
息を切らした充が、そこには居た。
「ボス、さっきの、見てた...?」
「…あぁ」
ちょっと申し訳無さそうにそう言う充に、桐山は淡々と答えた。
「充は、あの女と付き合うんだろう?」
「―え?」
「バレンタインデーは、女が好きな男に、チョコレートを渡す日だ。
自分と、付き合って貰う為に。俺は毎年たくさん貰うが、その中から誰かを
選ぶ気が起こらなかった。充は、あの女からチョコレートを貰って、嬉しそうにしていた。
充が、あの女と付き合わない理由が見当たらない」
桐山はそこで一呼吸置き、変わらない表情で続けた。
「俺は、充に渡すチョコレートを持っていない」
桐山はそれだけ言うと、そっと視線を伏せた。
充は目を丸くする。
桐山は少しだけ、本当に少しだけだけれど。
寂しそうな顔をしている様に、見えた。
充は、ひどく驚いていた。
桐山は。
自分の事で、やきもちを焼いてくれているのだ。
本人は、全く気付いてはいないようだけれど。
「ボス…」
充が呼ぶと、桐山はすっと顔を上げた。
そしてちょっとだけ眉を持ち上げる。
充の唇が、じぶんのそれに重なって来たので。
触れ合うだけの、口付け。
桐山は自分の胸の苦しさが、別のものに変わっていくのを感じた。
不快なものではない、
ひどく、安心する様な。
唇が離れると、充はとても優しい顔で桐山を見つめたまま、言った。
「付き合わないよ」
再び驚いた様に眉を持ち上げる桐山の背中に、充は手を回して抱きしめた。
「チョコが無くたって、俺が好きなのは、ボスひとりだから」
静まりかえった階段の、すぐ下。
充の声は、桐山の耳に心地良い響きを持って届いた。
「…そうか」
桐山は、静かな声で充に答えた。
そうして、充の胸に顔を埋めた。
この二人には、バレンタインデーなど無意味だった。
ただ、強いて言えば。
お互いの気持ちを確認する、きっかけとはなり得たのかも、知れなかった。
おわり
何か中途半端なとこで終わってる気が(汗)。
バレンタインリク、紫苑様より沼桐で、「女の子にチョコを貰う充にヤキモチを焼く桐山」の話でした。
ひっそりと笹沼を入れてたり(笑)。
ちなみに充にチョコを渡した女の子はこの後何かの偶然で充と桐山がデキてる事を知り、ショックを受けますが、
「桐山くんには叶わないし、女の子に渡すよりは」と言って身を引くホモに寛大な子です(汗)。
桐山が充好き、って話はやっぱり書くの好きです。何気に最近充が可愛くて仕方ありません(笑)。