思っている事。
確かに自分の中に息づいている何か。
それをどう表現すれば良いのか。
分からなかった。ずっと。ずっと。
Final Distance
桐山と充が久し振りに二人で帰っていると、他校の不良グループと鉢合わせた。
この辺りで桐山達を知らないで因縁をつけてくる奴らも珍しい。
余程の命知らずか。
一言二言威嚇の言葉を吐いた後、すぐに一人が拳を向けて来た。
その最初の標的は、一見優男に見える桐山だった。
ただし彼の攻撃は桐山に届く前に阻まれた。
「…調子に乗るなよ。お前なんてボスが相手するほどの事もない」
「な、なんだてめえ…離せ…」
ぎりぎりと男は歯軋りし、自分の拳を受け止めている少年―充を睨みつけた。
渾身の力を振り絞ってその手から逃れようとするが、充の力はそれを許さない。
「ボス、こいつどうする?」
「…構わない。充の好きにしたら良い」
「分かった」
充は不敵に笑うと、そのまま男の鳩尾部分に強烈な一撃を叩き込んだ。
男が短く息を洩らし、だらしなく白目を剥いて崩れ落ちると、それまで薄ら笑いを浮かべていた
他の不良たちの顔色が変わった。
「て、てめえ…」
「お前らはどうする?逃げるか?」
充が挑発するようにそう言った。
リーダー格の男がまるで猿みたいに顔全体を真っ赤にして、叫んだ。
「死にてえのか、てめえ…やっちまえ!」
ぱらぱらと小雨が降ってきた。
充はぱんぱんと学生服の埃を払い、痺れた手を軽く撫でた。
足元でのびている四人は、焦点の定まらない目を空に向け、雨に打たれるままに任せていた。
「充」
「ん?」
すっかり見物人と化していた桐山が、その時やっと口を開いた。
「以前より、動きが早くなったんじゃないか」
「え?そう?」
へへ、と充は嬉しそうに笑った。
戦っているときはそれなりに凄みのある表情が、途端に幼く見える。
桐山の手を煩わせる事無く相手を倒せる事が、充にとっては嬉しいらしい。
桐山はそんな充の顔を見て、はっきり分かるほどではないけれど、僅かに表情を緩ませた。
「雨がひどくならないうちに帰ろう」
「うん。あ、ボス、今日は…」
「この後は特に予定がない」
桐山はそれ以上何も言わなかった。
ただ、充は更に嬉しそうな顔をした。
桐山は自分の家とは全く正反対の方向に向けて、歩き出していた。
充の家の方向へ。
道端に咲く青みがかった紫陽花が、雨に打たれて揺れていた。
同じ雨に打たれるのでも、先程の不良たちとは違ってそれは可憐なものに見えた。
充の家に入るとすぐに、桐山は充を抱きしめ、壁に背中を押し付けた。
「ん…」
桐山は充の口唇に自分のそれを重ねた。
「…突然しなくたっていいじゃないか」
「そうして見ようと思ったんだ」
桐山のどこかずれた返答に、充は頬を染めつつ苦笑した。
「まあ、誰も居ないから。良いけどさ」
雨が降った所為か、部屋の中の空気はじっとりと湿って重い。
桐山は充を抱いたまま、離そうとしなかった。
充の肌がうっすらと汗を滲ませ始めていても無頓着に。
充は幾ら熱くても桐山が望む事なら拒みはしないのだが。
戯れに、桐山は充の髪をそっと撫ぜた。
色素の抜けた琥珀色の髪はふわりと軽く、指に絡んだ。
充の家に寄る。
充の唇に触れる。
充の髪に触れる。
充の存在を確かに腕の中に感じながら。
桐山にとってそれらはごく自然に行われる行為だった。
ごく自然な欲求。それをしないと落ち着いていられない、そんな行為。
つまりは自分は充無しではいられないのだと思う。
充の頭を撫ぜていると、充と目が合った。
「…なあボス」
「何だ」
「ボスは…どうして俺にこんな事すんの?」
「…そうしてみたいと思ったからだ」
「…それだけ?それだけなの?」
髪よりはやや深い色の、薄茶色の瞳が責める様に桐山を見つめた。
桐山は僅かに眉を持ち上げ、そんな充の視線を真正面から受け止めた。
桐山は自分の中に何かが息づくのを感じた。
充の顔を見ていると。
何も無かった筈のところに、何かが芽生え始めている。
それは確かに息づいている。
外に出ようともがいている。
殻を破ろうとして。
こめかみに鈍い疼きが走った。
「充」
声をかける。
充を抱きしめている手に力を篭める。
こういう時、俺はなんと言ったら良いのかな。
考える。
装飾された言葉を吐けば、充は喜ぶだろうか。
大好きだとか。
愛しているとか。
誰よりも、大切に思っているとか。
知識に詰め込まれた言葉を吐けばいいのだろうか。
国語の答案に、模範解答を書き込むように。
…きっと違う。
「俺は自分の気持ちが良くわからない」
桐山の言葉に、はっとしたように充は顔を上げた。
「だが、充とこうしていたい…」
苦しかった。こんな苦しさを覚えるのは充に対してだけだ。
掴めそうで闇に紛れる感覚がもどかしかった。
この気持ちを、どう伝えたら良いのだろうか?
桐山が黙っていると、充がそっと桐山の背中に手を回して来た。
「ボス、ごめんな…ちょっと不安になっただけだから」
充の声は優しかった。
「…きっと俺の方がボスより何もわかってないと思うよ。俺、頭悪いからさ」
充はそう言うと、じっと桐山を見詰めた。
「でもこれだけは言える」
その充の目は真っ直ぐで、なんの迷いも無くて、桐山にはひどく眩しく見えた。
「俺はボスが大好きだから傍に居るし、ボスにこうされてんの、すげえ、嬉しいよ」
充はそう言うと、桐山の背中を優しく撫でた。
その感触はとても温かいものだった。
「……」
体温とはまた違った、不思議な温かさを桐山は感じた。
桐山もぎゅっと充を抱きしめた。
分かりかけている。
なぜ何もかもどうでも良い筈だった自分が、こうして飽きずに充の傍に居る事を望んでいるのか。
「…充」
今はなんと言ったらいいかまだわからないけれど。
いつか充に伝えたい。
…充だからこそ、伝えたいと思ったんだ。
おわり
++++後書き
桐沼デイ、どうにか間に合わせました。
これで当初の目的は果たしたわけですが。
賛否両論ですがうちの桐山はちゃんと充のこと好きなので。
使い古したネタなんですが、桐沼で一度書いておきたかった。
宇多田ヒカルの唄をイメージしました。
自分の気持ちを知ろうとして悩む桐山…のつもりです。