Close to you
最近ボスの様子がおかしい。
二月に入ってから間もなく、沼井充はそう感じる様になった。
「充、最近何か気になっている事はないかな」
「特にないけど…どうして?ボス」
「いや、なら、いいんだ」
桐山が至って真面目な顔でそう聞いてきたのが最初の頃。
その時は大して気にも留めていなかったのだが。
暫く経ったある日の帰り道。
桐山はまた充に訊いた。
「充、充には誰か好きなやつはいるのか?」
「へっ?どうして急に?」
「どうなんだ?」
「それは…その」
充は顔を紅くし、少し言い難そうに言った。
「…ボス、だよ。それは」
「そうか」
聞いてきた割りに素っ気無い桐山の返事。
充は自分で言った言葉が恥ずかしくなった。
ただ、その日。
桐山は充を家まで送ってくれた。
自分の家とは、全く反対方向なのに。
わざわざ、遠回りをして。
またある日。
たまたま二人で繁華街を歩いていた時。
桐山はある店のショウインドウの前で立ち止まった。
「どうしたの?ボス」
充は桐山の視線の先にあったものを見て、思わず目を丸くした。
そこにあったのは。
色とりどりのチョコレート。
「ハッピーバレンタイン」のロゴ。
ボスも...やっぱりバレンタインとか興味あんのかな。
充は意外な桐山の一面を垣間見た様な気がした。
桐山が、そんなものに興味を持つようにはとても見えなかったので。
桐山は暫くの間ショウウインドウをじっと見つめていたが、やがてぽつりと言った。
「充、こういうのに興味はないか?」
「あ、ああ、うん。でも俺はどっちかって言ったら手作りの方が好きかな」
「何故だ?」
「その方が…気持ちこもってる気、するからかな」
去年、義理とはいえ、同じクラスの女子に貰った手作りのチョコレートの味を思い出しながら
充は言った。
「そうか、そういうのも悪くないかも知れないな」
桐山の声は心なしか、いつもより穏やかなものに聞こえた。
それに気付いた充が、不思議そうに桐山の方を見ると、
桐山と目が合った。
桐山は、真顔で充に言った。
「充は…作らないのか」
「え?」
充は思わず間抜けな声を出した。
桐山は、至って真面目な顔をして、そんな充をただ見ているだけだった。
「冗談だろ、ボス。俺、男だよ?さすがにチョコなんて作んないよ」
バレンタインと言うイベント自体が、気になっていない訳では無かった。
ただ、それは。
誰か可愛い女の子が桐山にチョコを渡して。
桐山がもしそのチョコを受け取ってしまったらどうしよう、そんな不安感で
しかなかった。
それなのに。
「男がチョコを作るのは、恥ずかしい事なのかな」
桐山は不思議そうに首を傾げて、言った。
「当たり前だろ、ボス。そう言うのって…変だよ」
「そうか」
充ははっとした。
桐山が、どこか寂しそうな顔をしていたので。
ボス、まさか本当に…。
俺にチョコ、作って欲しかったのかな。
充は考えた。
自分が桐山にチョコを作る事が「変」と言うならば。
自分が桐山に抱いている気持ちも、
桐山が自分に触れてくる行為も。
全て、「変」ではないか。
―男同士なのに。
充は何だか切ない気持ちになった。
その日はそのまま、桐山とは別れた。
それからも、幾度となく。
桐山は充にチョコを催促する様な素振りを見せた。
はっきりと、口に出す事はなかったけれど。
充は、悩んだ。
バレンタインが近づき、何となくそわそわし始めた教室の
雰囲気を鬱陶しく感じた。
こんなにいらいらする事なんて今まで無かったのに。
2月13日。
「充、明日の夜は空いているかい?」
珍しく、桐山から充を誘ってきた。
「あ…うん。空いてるよ」
明日は、バレンタインデーだ。
桐山が何を思って、その夜を選んだかなんてすぐにわかる。
「ホテルを予約しておいたんだ。よかったらディナーでもどうだ?たまにはこういうのも悪くないと思うんだが」
桐山は最後、少しだけ言葉に詰まった様だった。
気のせいだろうか?
「わかった。ありがと、ボス」
充は桐山の誘いを受けた。
断るなんて考えられない。
けれど。
桐山の望む事を、自分が出来る自信がいまひとつ無かった。
充にとって、嬉しい筈の桐山からの誘いも、どこか悲しいものになってしまっていた。
充はその日、三限から四限まで、一人で授業をさぼった。
いつもだったら、桐山が授業に出ている時はきちんと自分も出るのに。
どうしても、そう言う気持ちになれなかった。
「ばっかみてぇ、俺」
充は一人屋上に佇みながら、溜息をついた。
四限終了を告げる鐘が鳴った。
そろそろ、ボスたち来る頃かな。
と言っても、今日は笹川と黒長は休んでいたので、来るとしたら桐山と月岡だけ
なのだが。
充は腰をすっと上げた。
自分も、弁当を取りに行こうと思った。
しかし、
ドアに手をかける寸前で、充は動きを止めた。
話し声が、聞こえて来たから。
とりあえず充は物陰に隠れた。
なぜか。
声の主はわかっているのに。
今の情けない顔を、桐山に見せたくなかったからかも知れない。
充の予想通り、扉を開けて入って来たのは桐山と月岡だった。
桐山は月岡に、首を傾げながら問い掛けた。
「素直にそいつにチョコが欲しい、と言っては駄目なのか?」
―え?
充は思わず桐山を見た。
けれどここからでは、桐山がどんな表情をしているのかは良く見えなかった。
月岡の得意そうな声が聞こえて来た。
「もう、それじゃダメよ、直接的過ぎるわ。女の子って言うのはね、もっとデリケートなのよ。
雰囲気が大事なの」
「そういうものなのかな」
「そうよ。だから最初に言った通り、さりげなく、ね?」
―なんだよ。
ボス、ちゃんと好きな女いるんじゃないか。
―自分が勝手に勘違いしていただけだ。
そうだよな、ボスが俺にチョコ作って欲しいなんて思うわけ...。
充が聞いているのに全く気付かない様子で、二人は会話を続けた。
「わかった。今まで通りにしていれば、俺はチョコを貰えるんだな」
桐山が少し改まった様な声で月岡に聞いた。
「ちゃんとその子の気持ちは聞いてるのよね?」
「ああ、俺を好きだと言ってくれた」
充はその桐山の言葉を聞いて、胸が締め付けられる様な気持ちになった。
ボスの事好きにならない女なんていない。
―男の俺だって、
こんなに大好きなんだから。
しかし桐山の次の言葉に、充は思わず耳を疑った。
桐山は淡々と言った。
「だからお前が言った通り、この前家まで送った。嬉しそうな顔をしていた」
―ちょっと待てよ。
それって―。
「じゃあばっちりねv何も心配する事ないじゃないv」
「だがあいつは、チョコを作るのは恥ずかしいと言っていた。自分が作るのはおかしいと」
「きっと、照れてるのよ」
充は拳をぎゅっと握り締めた。
「そうなのかな」
桐山の声はどこか穏やかだった。
「その子、桐山くんの事好きなら、ちゃんと作ってきてくれるわよ」
月岡は優しい声で、そう桐山を元気付けるように言った。
「明日の夜が楽しみねv桐山くん」
「…ああ」
充は、走り出していた。
結局弁当は食べなかった。
夕方。
充が家に帰って来ると、どこからか甘い香りがした。
「ただいま」
「おかえりー」
一言だけ母親に言って、充は階段を上ろうとしたが、
ふと、立ち止まった。
その足を台所の方に向けた。
台所では、充の母親が鼻歌交じりに、湯煎でチョコを溶かしていた。
パート先の同僚にでも渡すつもりなのだろう。
もちろん、父親にも。自分にも。
「おふくろ」
充は母親に、ぶっきらぼうな調子で言った。
「…ちょっとその材料分けてくれよ」
次の日の夜。
充と桐山は、桐山が予約していたホテルの一室にに二人きりでいた。
慣れない高級料理で空腹を満たした後の休息時間だった。
中学生がこんな所を借りられるのか、という疑問も、桐山相手にはさして
意味の無い物に思われた。
金額次第でどうとでもなるのだろう。
桐山が自分のためにそこまでしてくれている事は、充にとってとても
嬉しい事だったのだが。
「充、疲れたか?もう休むかい?」
ぼんやりとベッドに座っている充を気遣ってか、桐山がおっとりとした調子で訊いた。
充は首を振った。
「…充?」
充の様子がどこかおかしいのに気付き、桐山は充の顔を覗き込むようにした。
「…ボス」
充は桐山を見た。
そして、
すっと後ろ手に隠していたものを桐山に差し出した。
桐山はそれを見て、僅かに目を丸くした。
「俺…初めて作ったから…不味いかもしれないけど」
桐山の目は見ない様にして、充はそう小さな声で言った。
少し不器用に巻かれたリボン。
透明なラッピングに包まれた、
小さなハート型のチョコレート。
充が生まれて初めて作った、バレンタインチョコだった。
「…ありがとう」
気のせいだろうか、
桐山の声はいつもの様に冷たい声ではなく。
どこか、温かいものに聞こえた。
差し出されたチョコを受け取った、
その手と同じ様に。
充はおそるおそる顔を上げた。
とたんに触れた、ふわりと温かい感触。
「ボス?」
桐山の胸に抱き寄せられたのだと、わかった。
温かい桐山の胸が目の前にある。
その抱擁はやはり優しかった。
充は安心感で胸がいっぱいになった。
―喜んで、くれたんだな。
桐山はそれ以上何も言わなかったけれど。
充には何となくわかった。
恥ずかしかった。
その気持ちは変わらない。
男の癖にバレンタインチョコを作ったなんて、
笹川あたりにバレでもしたら、とんだ笑いものに
なるに違いない。
でも。
作ってきて、よかった。
充も何も言わずに桐山を抱き寄せた。
ボス、大好きだよ。
俺、ボスじゃなかったら絶対こんな事しないんだからな。
おわり
後書き:
バレンタインリクSS、紫苑様より「バレンタインなのに、自分にチョコを渡そうという気がない充に、あの手この手を使って充からチョコを貰おうとするボスのお話」とのリクでしたが、ボスあんまり頑張ってないですね(汗)